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とあるチャラいアラサー男のブログ

人生1度きり。悔いを残さずチャレンジだ!とあるアラサー男の日常を語る日記。このサイトの画像等は、無断転載は禁止でお願いします。

今だから言えるありがとう

日常

亡き父へ

 

今まで本当にありがとう。

 

あなたの息子で幸せでした。

 

私は今、父が子供が生まれてお父さんとなった年齢と同じ26歳。

 

いつも遊びに連れて行ってくれて、子煩悩でしたね。休日は釣りやカラオケ、ドライブなど・・・中でもキャッチボールをしたことが記憶に残っています。

 

小学生の時、いじめられていた私を助けてくたのはお父さんでした。学校まで来てくれて、助けてくれましたね。本当に頼りがいがあって、温かくて、優しい人でしたね。

あなたの存在が大きく見えました。

 

しかし、中学に入り、反抗期に入ってからまともに口を利かなくなりました。話す時は、いつも取っ組み合いの喧嘩。

中学2年生になると大人よりも体格がよくなり、誰も止められなくなったいた。

 

でも私が道を踏み外したときはいつも全力で怒ってくれましたね。

 

喧嘩で相手の生徒の前歯を折り、首を締めあげて、先生が3人がかりで止めるくらい、大暴れをしたとき、学校に呼び出され、全力で怒ってくれた時は、胸が熱くなりました。

 

そして高校生になると、食事の時も顔を合わさなくなり、丁度、単身赴任となり話すこともなくなりましたね。

 

私が、進路で困ったとき、せっかく戻ってこれたのに大喧嘩になりました。

母親が家を飛び出すくらい。お父さんは心配してくれていたんだよね。それに気が付けず、ひどいことをしてごめんなさい。

 

それから、私は、18歳で一人暮らしを始めた。初めて世間の厳しさを味わった。悔しくて暴れたこともあった。でも支えてくれた温かい人もたくさんいた。

 

そして21歳の時、大学へ進学をした。

 

はじめの一歩が宿泊研修だった。周りは18歳のクソガキばかり。あまりにも幼稚でビックリだった。私は、3年生になるまで一言も誰とも口を利かなかった。

 

時が流れ、私25歳、正社員として社会人となっていた。

 

ある日、兄から1本の電話が入った。

父が急死したという内容だった。

 

会社に連絡し、私は、7年ぶりに地元に帰った。病院に着くと、ベットで冷たくなっている父と泣き崩れる母の姿があった。

 

私は私がいない7年間の話を兄から聞くと、泣き崩れた。

兄だってつらいはずなのに、ずっと私を慰めてくれた。

 

父は、毎日、私の心配をしていたようだ。一日たりとも心配しなかった日はなかったそうだ。

優しいけど不器用な人。口に出すことは少なかった。

 

私はある決意をした。

 

立派な奴にならなくても、胸張って生きていけるような人になろうと思った。汚いことだけはしない。

 

人は,歳をとらないとわからないことがある。

 

よく、年寄りの悪口を言う人がいるが、それも私たちが歳をとらないと彼らの気持ちはわからない。

 

でも、人の気持ちを考えられることは本当に素敵なことだと思う。